NEO.jp ━2002年━

2002年4月3日、3作目の「SOLO-ist」に深町さんを呼んだ。パフォーマンスのラストの20分、テニスの試合のように向かい合って2人の中の FOLK SONG(民謡)を見つけだすSESSIONをした。全て即興だったが、自然に会話をするように流れて行った。不思議に感じると同時に「そんなものか」と納得もした。僕と深町さんの中に共通する感性があることは明らかだった。

2002年写真1

この年、深町さんと会う切っ掛けとなったセッション、ピタゴラスパーティーのギタリスト 石間秀機さんから新たなグループを作ろうと提案された。石間さんは日本のロック創世記にフラワートラベリンバンドで国際的に評価された人。インド音楽のシタール奏者でもある石間さんはエレクトリックギターでありながら2音半のチョーキングが可能で1メートルのネックを持つ「シターラ」というオリジナルギターと共に僕の前に現れた。衝撃だった。始めて耳にするその音色と歌い方は他に例えようもなく、世界にジェフ・ベックが1人であるように、石間秀機も世界に1人だと思った。石間さんにはたくさんのギグに誘ってもらったが、その中にはベースのポール・ジャクソンとのトリオのセッションもあった。これまた凄かった。

2002年写真2 そして石間さんが新たなグループのメンバーに選んだのが僕と深町さんだった。2人の巨人と組むこのグループ結成には興奮した。

「NEO.jp」とグループ名を決め、曲作りのリハーサルを繰り返し、原宿のクロコダイルで活動をスタートさせた。サウンドは重量感があり、エスニックな香りとモダンなアレンジで世界にひとつと言える独創性があった。

すべて順調で3年は絶対続けようと決めて始めたグループだっが、半年経ったある日、突然終わりがやって来た。石間さんと深町さんとの間で分かりあえないところがあったようだった。

何とも言えない無力感を感じた。この半年は何だったのかと繰り返し考えた。そしてこのバンドに負けない新たなグループを作ろうと決意した。何があっても10年は絶対続けようと心に決めた。もしこの失敗がなかったら2005年に結成した「The WILL」は生まれてなかったかもしれない、と考えることがある。