初めての共演と手紙 ━2001年━

2001年、僕はビジュアル的な共演者に動くオブジェを選び、なるべくシンプルにひたすらドラムの独自性を追い求めたパフォーマンス 「SOLO-ist」 を始めた。そのライブ映像を観た演出家 大輪茂男氏が連絡をくれ、パフォーマンスグループTHE CONVOYの人気ダンサー、舘形比呂一のツアー「ソロプレイ 2001」に参加することが決まった。集められたメンバーは以前から人づてに知っていたバイオリンの渡辺剛君とピアノの深町純さん。それぞれちゃんと共演するのは始めてだった。

演出家のリクエストはプログラムの中間部にアストル・ピアソラがモダンバレエのために書いた組曲「Tango Ballet」を3人で演奏することだった。クラシックのヴァィオリニスト、ギドン・クレメールがヴァイオリンと弦楽オーケストラのためにアレンジした音源を渡されて「こんな感じで」と。でも僕たちは3人、「こんなの無理だよー」。

ところが最初のリハーサルで最も重要なバイオリンパートを完璧に弾きこなしている剛君を見て文句は言えなくなった。深町さんは僕のところに来て「きっとあれ、凄いことやってんだぜ。」と小声で言った。とにかく3人がそれぞれのパートをそれぞれの責任の元にアレンジし出来上がった「Tango Ballet」はまぎれもなく僕たち3人の、3人にしか出来ない「Tango Ballet」となり、「これは面白い! 」とそれぞれが思っているのが手に取るように分かった。

ツアーは約40本、舘形さんを始めアーティストもスタップも素晴らしいメンバーが集まり、魔法のようなツアーが続いた。僕はとにかく3人で音を出せるのが楽しくて、サウンドチェックはいつも僕たち3人のセッションとなった。舞台監督の平山さんは僕たちのことを "天才" と乗せてくれ、「セッションが始まると時間ないのに止められない」と言ってくれた。

2001年写真1

この年の12月、結成して2年になる僕の和楽器とのユニット「東方異聞」と能楽の舞の共演という僕にとっての1つのチャレンジをした。公演の数日後、観てくれた深町さんから手紙が届いた。それはある意味厳しい内容だったが、試行錯誤をしていた僕にとって強い味方を得たような気分になった。以下はその全文です。

2001年写真2(12月東方異聞公演)

堀越 彰 様
  正直に僕の感じたことを書くことが、相手への礼儀だと思っています。
まず大切なことから。
君がやろうと(創ろうと)している音楽、いえ、言葉を変えれば、君だけが既に聞こえている音楽、その音楽を具現化したいという君の意志、欲求のようなもの、それが感じられるのは素晴らしいことだと思います。その意味では、僕もまた君と全く同じ場所に立っていると言えます。

新しい試みは、常に様々な、時に驚く程の制約を受けます。そういうことを十分に理解した上で、残念ながらPAは決して良くありませんでした。また、せっかくの「舞い」が、ステージがないため、とても見づらかったです。
現在のあのバンドのスタイルが、ジャズのような、個人の技の集合という構造を持つ以上、その個々人の演奏レベルの高さを厳しく要求されます。その意味では多少の不満が残りました。

これ以降は、僕の本当に個人的な感想です。
たとえばある曲の、琵琶と尺八に能の太鼓という組み合わせに疑問を感じました。それぞれの楽器のもつ背景の音楽が非常に異なっているからです。つまり能と民謡と浄瑠璃を一緒にまぜているような感じがするのです。こう言ったら君は怒るかもしれませんが、あえて正直に告白すれば、それが偽もの、まがいもの集合にならねばよいけれど、という恐れを感じました。

詩吟をバックに踊る剣舞という忌まわしい演芸があります。あれとは全く別のものでなければなりません。三波晴夫とは一線を画さねばなりません。しかし、その境界線をどのように引くのか、あるいは保つのか、それが重要な問題となるでしょう。
君は和楽器風の楽器を使ってではなく、ドラムセットという限られた範疇のなかで「和もの」を目指すべきではないだろうか。あるいは、能の鼓奏者のように声を出すのであれば、もう少しの研鑽が必要ではないだろうか(君の声はきれい過ぎる)、つまりそれらが本当に必要なのだろうかという疑問が頭から離れません。いえいえ、僕だって正解など持ち合わせてはいないのです。

僕の想像では、君(あるいは、君のバンド)は芸術なのか芸能なのか、ということを鮮明にした方が良いのではと思いました。つまり、それが芸術志向ならば、君のおしゃべりはいらないし、(ポップス風なイージーな)メロディーもいらないと思います。僕がずっと昔、土方巽という舞踏家の青山青年館での有名な公演に、たまたまピアノを弾いたのです。その公演は今でも覚えていますが、とても緊張感のある印象的なステージでした。そしてそれは、通俗的なもの一切が排除されている、受け入れられることを拒絶しているような、ある種の妖気ただよう舞台でした。僕は好感を持っています。
あるいは、君が持っている「夢」や「幻」という指向を、「死」や「無」という方向を加えたら、とも感じました。ロマンチックなものは危険を孕んでいる、と僕は思っています。

さて、これ以上は同じ道を志している同僚としての、非常に偏って醜い感想になりそうなので止めにします。もしできれば、君のバンドに曲を書かせてもらえますか? 君の曲が、どうやって出来ているのかも、非常に興味を持っています。でも、それは後で話してくれるでしょう。でも、君の音楽に対する姿勢に、とても敬服しました。 ありがとう。

 

2001年12月28日   深町 純