人は誰でも、自分の中にすべての答えを持っていると思う。
例えば人を好きになる。
その「好きになる」という感情は、すでにその人の深層心理の中に存在していて、
好きになった相手はその心の扉を開いたにすぎない。
素晴しく感動した映画があったとする。
人はそのシーン、セリフ、風景、感情表現に対して心を動かされ、共感し、
しばらくの間その主人公の思いを想像したり、涙したりする。
しかしそれはその作品によって心のボタンを押されたにすぎない。
人は「記憶」とともに生きている。
意識するかしないかは別として、人は心の中に膨大な「記憶」という資料を眠らせている。
そしてそのほとんどは使わずに一生を終えるのであろう。
「SOLO-ist」というパフォーマンスを思いついたとき、
「記憶を呼び覚ます」ことをテーマにしようと決めた。
なぜならそれは人間特有の感情であり、打楽器が持つ最も不可思議な魔力であるからだ。
窓から差し込む眩しい陽射し、真夏の夜の月と影、
野原を駆け回る子供の声、草の匂い、
出会いや別れの思い出、誰もが持っている記憶、
たとえ経験がなかったとしても、まるで自分がしてきたように思い描ける風景や感情、
それをも含めて「記憶を呼び覚ます」。それは「想像」とも言えるかもしれない。
一人の武士が運命を覚悟し、研かれた剣とともに敵と立ち向かうときの思い、
こんなものは想像でしかあり得ない。がしかし、
その思いをリアルに自分のものとして想像できる場合、それは記憶かもしれないと僕は思う。
はかり知れない人の可能性は自らの中に眠っている。そんなふうに考えたとき、
人は誰しも一つの完成された「個」であり、偉大なる「SOLO-ist」であると思った。
そして「自分とは何だろう」という疑問と直面したとき、
記憶をたどりその答えを探すために、自分を見つめるのだと思う。
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