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今朝はぐっと現実的な話からで、長旅にはつきもののクリーニング屋探し。ホテルに紹介してもらって徒歩2分の裏通りに立派な体格の叔母さんがやってる立派なクリーニング屋がありました。

ワイシャツから下着、靴下まで合計20点をまとめて出すと、そのままどんと計りに乗せて「14ユーロ」。安い! 夕方5時にはできるそうです。助かりました。

気分よく裏通りを歩いていると、何か水色のかわいい感じの教会を見つけました。「そうそう、ウイーンに来てまだ教会に行ってないなぁ」なんて思い、軽い気持ちで入ってみると、・・・・・・うっ、 あまりのすごさに唖然。何がすごいって、息をするのもはばかるほどの静けさ、ピーン張り詰めた空気の緊張感、そして何よりもその重ーい雰囲気。内部の広さ、高さ、色彩に驚き、絵画や像にリアリティーを感じ、ひとり祈りを捧げる婦人の思いを想像する。

――旦那が浮気でもしたのかなぁ・・・。

不謹慎でした。申しわけありません!
ところで皆さん、フンデルトヴァッサーという人、ご存知ですか? 1928年生まれの現代画家で後に「フンデルトヴァッサーハウス」という集合住宅を設計してからウイーンのガウディと呼ばれるほど、建築家として有名になりました。

強烈な色彩、傾いた廊下、空中庭園などで構成されている「フンデルトヴァッサーハウス」は今も市営住宅として残っています。

それにしても、2000年にウイーンで亡くなるまで、絵、ポスター、デザイン、設計とあらゆる分野でその才能を発揮し、特に建築設計に秀でていて、一見してそれとわかる個性と、見る人をおとぎの国へ導くような夢、そして自然回帰をうたうメッセージ性を持ち合わせた類い稀なるバランス感覚を持ち合わせた芸術家だと思いました。

さらにいえば、ウイーン市内に巨大な清掃工場を設計、同じようなものを1997年大阪にも設計している。また、ウイーンから3時間の田舎町にブルーマウ温泉保養村を手掛け、コンセプトである人間と自然が共存する理想郷の設計を実現させてしまう。

このように、個人的な芸術活動だけでなく、国の公共施設など発注される仕事に対して、アイテム1つにも妥協を許さずに彼の作品としてしまい、結果的には人々に深く愛され親しまれるというポピュラリティーに敬服し、日本にまで存分に異彩を放つ清掃工場を出現させてしまうプレゼン力とそれを獲得するエネルギーに底知れぬパワーを感じます。

もちろんすべてを彼ひとりでやったわけではないのですが、彼を囲むスタッフやブレーンが彼の才能にふさわしい仕事を獲得する原動力になるのは、やはり作品の力なんだと思います。

建築設計家として実績のなかったフンデルトヴァッサーが、初めてフンデルトヴァッサーハウスを設計したときの経緯を詳しくは知りませんが、スポンサー集めに奔走したかもしれないし、予算オーバーは早い段階で確実だったのでは。

窓枠やタイルの色1つとっても妥協はしなかったでしょうし、大工や施工業者に対するだめ出しは日常的であったことは想像にかたくないですよね。そんな中でもひたすら「自分らしさ」にこだわって完成させた。そうしなければ、それから先、生きていけないかのように。そして彼は、建築設計家としての評価と多くの支持者、有能なブレーン、お金、そして何より未来を手に入れた。

「成功するとは限らない、でも進む以外に選択はない」そんな決断の瞬間が何よりもドラマチックで好きです。その1歩を踏み出せる勇気を僕も持っていたいと思っています。


きょうは守護聖人の祝日。

守護聖人とは、キリスト教で、信者個人、教会、都市、国などを保護すると崇拝されている聖人のこと。キリスト教では11月1日と12月26日をとても重要な日としているようです。

僕が泊まっているホテルに近いウイーン旧市街の中心にそびえるシュテファン大聖堂からは鐘の音が響き渡ります。その音に呼ばれるように中へ入ると、ミサの真っ最中。信じられないほど巨大な空間に、これまた巨大なパイプオルガンが響き、シュテファン大聖堂のもつ交響楽団と混成合唱団、さらにバス、テノール、アルト、ソプラノ4人のソリストによる荘厳なる音の渦。

お香のような煙がもくもくと立ち上がり、そこにステンドグラスから差し込む太陽光が光の帯となって浮き上がる。

  「何だこりゃ ! 」

しばし呆然・・・。ノックアウトです。

この、ほとんど天上のものとしかいえない美しさは何なのでしょうか。崇高であり、かつ包み込むような、例えようのない・・・。

12世紀に着工されたこの大聖堂は、現在に至るまでまだ建て続けられているそうです。つまり未完成なのです。

生涯完成することはないと文献には書いてあります。その永続性と「未完」という言葉の意味にため息が出ます。ここがウイーン市民に愛され、かつ精神的な支柱になっていることは疑う余地もありません。そして、この地を訪れるすべての人を魅了し圧倒してきたことでしょう。

1830年クリスマスの夜に20歳になるフレデリック・ショパンが残した詩をもってそれを確信します。

「真夜中、私はひとり、ゆっくりとした足取りでシュテファン教会へ向かった。中へ入ったときは、まだ人気がなかった。祈りのためではなく、この時間のこの巨大な空間をよく見るために、隅の暗がり、ゴシック様式の柱の元に、私は立ち止まった。この巨大な丸天井の崇高さは、言葉では表すことができない。静寂が支配していて、ただランプの火をつけてまわる寺男の歩く音だけが、私の無気力な気分の妨げとなった。自分の後ろには墓があり、そして下にも墓がある。墓がないのは、ただ、上だけ。陰にこもった和音が、私の心の中で鳴り響いた。そして、前にも増して自分の孤独さが感じられ、この崇高な眺めの中に自らを没入していった。明かりが増し、人々が集まり始めるまで」(フレデリック・ショパン) 

当初、今年の11月に品川にあるキリスト品川教会で「SOLO-ist」公演を行うプランがありました。 モダンな造りのすばらしい空間で、僕もとっても盛り上がったのですが、まあいろいろな理由で持ち越されました。

ただ、教会、パイプオルガン、鐘、祈り というキーワードには今も強く惹かれています。2006年6年、シアタートラムをシュテファン大聖堂に負けない荘厳な場にしてみたいと思います。その予告編を11/29マンダラでやります。どうぞお楽しみに。

さてさて、残りの時間はわずかです。あすの午後にはフランスのストラスバーグへ向けて移動しなければなりません。

ここまで読んでいただいている方は、僕はまったく仕事をしていないように思うかもしれませんね。とんでもない。

ROVAの4人と藤井、田村両氏、そして各地のミュージシャンとのセッションはリハーサルからとてもスリリングで、忘れがたい思い出になりました。

このように異国の地で、僕を知らない聴衆の前で音を出せるということは、何ともミュージシャン冥利に尽きるというものです。

僕がエンドーサーをしているドラムメーカー「カノウプス」が、各地に新品のドラムセットを届けてくれました。

日本と変わらぬ、いやそれ以上のいい環境でこのツアーをできたことは何より心強いことでした。ROVAのメンバー初め、各地のミュージシャンやスタッフが、初めて見るこの日本から来たドラムセットに深く興味を示し、そのサウンドに驚きを隠せない様子は、聴衆の拍手と同様にうれしい瞬間でした。

万全のケアをしてくれたカノウプスに感謝感謝です。

通常、ジャズフェスティバルでは、あらかじめ希望のサイズなどを提出しておき、当日そこに用意されているドラムセットから好きなものを選び演奏します。では、なぜそこまでして僕がカノウプスにこだわるのか。もちろん個性的で優れたドラムであり、今回のように海外のケアについて労力を惜しまずバックアップしてくれるからにほかなりませんが、もっと根本的な理由があります。

僕はドラムを叩くとき、特に海外で行うとき、日本人としての必然性を強く意識します。今回のオーケストラは、アメリカと日本、そして各国のミュージシャンの混合バンドです。この中で自分の存在を強く意識し、演奏を通してそれを表現したいと思っています。僕はそういうプレーヤーだと思っています。そう考えるとき、そのナチュラルでクリアなサウンド、シンプルでモダンなルックス、あらゆるパーツにおいてむだのない、必要最小限の、しかし最大限可能性を引き出す極めて日本的な発想のもとに生まれたカノウプスのドラムセットは、僕にとってはストレートに感情移入できるものなのです。

さらに、僕のドラムセットはなぜ低く平らにセットされているのか。

バスドラ(右足で踏む太鼓)以外を僕から見て同じように水平にセットすることにより、スティックとそれぞれの楽器の角度が統一され、スティックを移動させるときの軌道が一致されます。人差し指と親指でスティックと触れているところを中心に、スティックの先(チップ)は点から点へ弧を描き飛んで行きます。このとき中心は極力動かしません。シンバルからタムへ、ハイハットからフロアタムへ、どんなに遠く離れた点へ移動するときも簡単に中心を動かしてはいけない。必要があるときは最小限の移動にとどめる。

しかし、目の前の景色を一瞬にして変化させたいときや、一定のグルーヴやタッチ、ダイナミクスから新たな局面へ劇的に発展させたいときは、可能な限り大きく体を使います。手首、肘はもちろん、肩、胴体までもがスティックを動かすもとであるかのように、流動的にしなやかに、かつ素速く動かす。このように、1つの目的のために身体全体を機能させることで手の動きは最小限で済むこともある。

このように、僕はドラムを演奏することを叩くという目的を達成するために生まれる必然的な身体表現と捉えている。 未だ不十分ではあるが、今現在もこれ以降も、いかに脱力し、身体の各機能を自由にし、その瞬間思い描くことに対して意思よりも速く身体が動くことを目標としている。

最後の夜は、再び楽友協会ヘ行き、シューベルトを聴いた。

いよいよきょうはフランス・ストラスバーグへ移動しなければならない。なごりを惜しむかのように午後3時の出発まであと少し街を歩いた。

朝、再びシュテファン大聖堂へ。盛大なるイベントであったきのうとはうって変わり、日常の静けさを取り戻しているかのように見える。僕にとってここは生涯忘れることのできない場所になった気がする。何百年も変わらずこの地にあって、僕のような思いをした人が果たしてどれぐらいいたのだろうか。 だって、ショパンと同じものを見て、同じように心震わせているなんて信じられない。

ブエノスアイレスのタンゴクラブも、全員ティーバックのイパネマ海岸も、ロジャー・ウォーターズで大合唱のマジソン・スクエヤ・ガーデンも、上海から杭州までの貧民列車も、僕にとっては刺激的な経験だったけど、シュテファン大聖堂はまた特別です。

ウイーンの街にもすっかり慣れ、地下鉄、カフェ、美術館と観光モードでぐるっと一周。

エゴン・シーレやクリムトにも会いに行きました。 観ましたよ、クリムトの「接吻」。

最後に、深町さんが愛してやまないという、ヴィトゲンシュタインという哲学家の家にも行ってきました。

このヴィトゲンシュタイン、結局、僕にはまだどんな人なのかよくわからないのですが、この旅に出る前の日のリハーサルのときに深町さんが「死ぬまでに1度訪れたい場所」なんて言うものだから「必ず行ってきます!」なんて言っちゃって、でも本当はよく知らないしあんまり興味がないから1番最後になってしまいました。

現在この家は、ギャラリーとホールを持ったアートスペースとしてウイーンの若いアーティストたちのたまり場のようなところになっていました。

ヴィトゲンシュタインについては11/29マンダラでじっくり聞いてみたいと思っています。




――さあ、次なる公演地、ストラスバーグへ向けて出発です。

以上、「堀越 彰のウイーン日記」でした。

この旅の経験が11月29日のマンダラで反映されることを約束して、ひとまず締めとさせていただきます。南青山マンダラでお会いできるのを楽しみにしています。

最後までおつき合いいただき、ありがとうございました。


「堀越 彰 The WILL」
会場: 南青山 MANDALA
日時: 11月29日(火) 18:30 Open 19:30 Start
料金: \5,000 (1Drink付)税込

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