1234(当日・公演前)5(公演)





緊急報告!
スペシャルゲスト決定!!


 O-Getsu-Ryuのメンバー、
 松木史雄氏のゲスト参加が
決定いたしました。

松木史雄(まつきふみお)プロフィール
山口県出身。日本大学芸術学部演劇学科演出専攻。演出家・末木利文氏に師事し舞台演出・演技を学ぶ。人間国宝・中村雀右衛門氏、大谷友右衛門氏に師事し歌舞伎の手法を学ぶ。1995年より桜月流美剱道 創流メンバーとして第一師範となる。継承と同時に、舞台活動を開始。「O-Getsu-Ryu/桜月流」 として、神谷美保子、石綱寛、神谷昌志 等と共に 数多くの作品を発表。和(日本・ヤマト)・モダン・スピード・芸術性を伴った「美剱」という新しいジャンルを確立する。パフォーマー、剱コレオグラファーとして、剱構成(振付)・演出・指導・パフォーマンスを行う。2004年3月、アメリカMLB(ニューヨークヤンキース VS デビルレイズ)開幕戦オープニングセレモニーに出演(吉田兄弟、J・DNAと共演)。外部作品にも、剱舞構成・振付(演出)を指導。日本的でありながらもスピード感のあるドラマティックなミザンス構成には定評がある。また、活躍中の俳優たちのための特別クラスはじめ、教授の場も広く展開している。
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【オブジェについて】
○堀越 田中さんのオブジェはランダムに動くのが特徴の一つですよね。仕組みはあるにしても、結果的にはやっぱりランダムに動いているでしょう。今回初登場のエスニックベルを叩くオブジェもそうですが、松木さんのパフォーマンスも、僕のドラムも、ランダムというのが一つのキーワードになっているんですよ。ランダムというのは何でもいいというのではなく、その瞬間の腕の関節の位置とか、羽根やスティックの重さ、遠心力に応じて回転運動して、マレットがベルに当たる。極めて自然な状態ですよね。音を見せつつ、動きを聞かせるとでも言うんでしょうか・・・。

○田中 ベルをノックするハンマーに羽根をつけたいというのは、単純に音が出る、ヒットする音だけということじゃなくて、あとはストロークの大きさとか速さということがあって、ちょっとそれに表情をつけたいんですね。単純に音を出すだけだったら、ししおどしみたいな単純な仕組みでいいんだけれども、雰囲気というか全体の、音が出ていないんだけれども動いている、ベルから同じ音が出ているんだけれども羽根の動きがその都度違うというのが多分見ていて飽きないと思う。

○堀越 だから、ビジュアルとしての田中さんのオブジェの特徴を音にしたらどうなるんだろうという意味で、すごく興味深い作品になると思う。

○田中 それもそんなにかたい制御をしないから、やじろべえみたいにある程度揺れているところで入るからね。もしかしたら、タイミングが悪ければミスタッチになるかもしれないし、逆により勢いがついていったりね。

○堀越 コンピューターで10分のプログラムを全部決めてしまうよりも、むしろそっちの方にアナログな魅力がありますね。

○田中 不確定な要素が何割かまた入る。

○堀越 なおかつ、そこに深町さんのピアノが即興で加わり、ある意味、人間とメカニカルなもののセッションというすごく興味深いシーンになる、うまくいけば(笑)。


【ダンサーの松木さんについて】
○田中
 松木さんの話はおもしろくて、声をかけてよかったなと思っているんだけれども、実際に会って、あんな人だと思わなかったし、いろいろな意味で(笑)。

○堀越 逆に言えば、無謀なことをしていますよね、決めてから会うという(笑)。
 僕も松木さんは素敵だなあと思っていて、もうあれから3、4回メールを往復しているんですね。「田中さんと堀越さんのお力になれるように、あと残りの1カ月、精進して本番に挑みたいと思います」とか書いてあって、何を精進するんだろうなって、ドキドキしますよね(笑)。やはりアーティストというか武術家なんですよね、何かこう、スポーツマンに近くて。

○田中 話の引き出しがいっぱいあるんだろうなと。人にレッスンをつけているぐらいの人だから、いろいろな物事の結びつき方ができるだろうし、体のこともよく知っているだろうし。やはり何よりも間合いとか、そういう、空気の中で体でどうさばくとか、そういうことをやっているわけだから、多分音楽家とは違う感性なのかもしれないけれども、でもいろいろなところで接点がある気がしますよね。

○堀越 このパフォーマンスが終わったら、僕も入門したくなりました。結局、僕がパフォーマンスをつくろうとすると、どうしても日本に帰ってきてしまうんですよね。しっくり来るんです。やる曲はクラシックだったり、西洋音楽なんですけど。
 その中で自分のスタイルを表現したいときに、やはり動きが重要なんだということに気づくんです。松木さんがやっているような武術、剣術にすごく共通点を感じて、スポーツもそうなんですけれども、日本を感じる動きって何なんだろう、間合いって何なんだろうとよく考えます。それは田中さんのオブジェにもすごく感じるところですね。

○田中 多分、それは、日本人のアイデンティティーという言い方でいいのかどうかわからないけれども、別にアジア的、東洋的であろうと強く念じて何かそっちに向かわせているんじゃないと思うんですよね。結果として、何か自分の興味なり好奇心に対して純粋であろうとすると必然的にそういうものが出てくるとか、そういうものと接点を見出すということで、仮にヨーロッパのモチーフなり、そういうアーティストとやっていっても、お互いのポジションみたいなものをきちっと向かい合わせにしようとすると自然につくられるものであって、それはだから、結果として作品を東洋的にしなきゃいけないとかそういうことじゃなくて、自分の日本人としての意思表示をしなきゃということとは違うと思うんですよね。
 何で俺は日本人なんだろうとか、アジアって何なんだろうとかいうことを求めていくこととは何かちょっと僕の場合はベクトルが違って、結果としてそういうものが出てくることにプライドを持っているし、いいとは思うんだけれども、何か、結果的にそうなってしまう不思議さを楽しみたいみたいなぐらいの感じかな。

○堀越 もちろんつくっていくのはこれからなんですけれども、松木さんの出番が何かすごく重要になってきたなと感じるんですよ。台本にも書きましたけれども、松木さんの舞が一つのストーリーテラーの役目になって、実はこのパフォーマンスは日本の精神で語られているんだということ、それが松木さんの存在と語りのところでおぼろげに見えてくるという展開になるんじゃないかと思う。


【時間軸について】
○田中
 例えば堀越さんと僕の物事の進め方というか、このプロジェクトだけにかかわらず、要するに音楽をやっている人と僕みたいな美術をやっている人間の人前に何か自分の表現を出すときの違いというのは、ミュージシャンは当日変えられるじゃないですか、この曲をやめたとか、アレンジもこうでとか、その日のモチベーションとか。時間のかけ方と、表現するときの集中の、プロジェクトを立ち上げてから本番までの時間軸の中での波の立ち方が全然違うわけで、僕の場合はだからもう既に本番モードに近いところ。要するに、劇場入りするまでにクライマックスが幾つも出てくるわけで、その中でもう一回発見することはあるんだけれども、そこであとは時間とか物理的なことで、軌道修正が可能な場合と、不可能な場合はもう、今回はこれでというふうに放す場合等が出てくる。あとは、本番で多少、オペレーションとか光の当て方とかでアレンジできる部分もあるんだけれども、それは表現の本質的な部分なんだけれども、それに至る部分で、前の日までの段階でかなりの見通しというか、自分の中で確信に近い部分を持っていなきゃいけないというのがあるので。

○堀越 そうですよね。例えばマカオなんかに行ったときもすごく痛感したんですけれども、僕と田中さんで同じ時空間を演出するというテーマはあるんだけれども、時間の使い方というか、時間とのかかわり方が全然違うんだということがすごくおもしろいんだと思うんですよね。単純に言ってしまうと、真聡さんは長い、僕は一瞬一瞬なんですよね。それが当然パフォーマンスにもあらわれて、それが田中さんのオブジェの特徴だし、僕のパフォーマンスの特徴なのかもしれないと思うんですよ。
 僕は田中さんのオブジェをこう見せたいというのがあって、それはいわゆる美術館にあるオブジェや絵画と違うというものなんですね。当然、僕も曲を書いたり、練習したり、リハーサルをしている段階で一つのクライマックスを迎えるんですよね。でも本番というのはまた違うクライマックスで、要するに出演者にならなきゃならない。オブジェも同じなんですね。だから、その瞬間輝くということが、今やっている作業と全然違うテンションで起こるわけですよね。それをオブジェに求めているところがあるんです。

○田中 だから、僕の場合もその部分では基本的には同じ意味合いで、要するにアトリエでおもしろくてもギャラリーなり展示空間に持っていって映えなきゃ意味がないわけで、僕の場合はオブジェはあくまでもオブジェであって、そこで照明を当てて影が出たり、動いたときに何かハイライトがすっと走ったりして、初めてそこで見えてくる空気感みたいなものが作品の本質的な部分であって、当然、その周りの背景や、どこに立ってどういう視点で眺めるかとか、そういう関係性が出てこないと作品と呼べないという感じがする。だから、そういう意味では、使い方、明かりの当て方で全然印象が変わる。要するに、楽器なんかでも鳴らし方で曲のイメージが変わるのと同じで、オブジェも、同じオブジェを使っていても、使い方で全然表情が変わってくる。

○堀越 オブジェや絵画を一瞬しか見せないということは、おそらく美術の世界では少ないんじゃないかと思うんですよね。例えば絵画だったら、その前にいれば何時間でもその絵画に対していられるけれども、ステージにあるとそういうわけにいかなくて、例えば5分の曲の中でしか見られない蓮のオブジェとか、出番が終わったら消えてしまう、一瞬のパフォーマンスというか。明らかに僕と同じステージに立っているわけで、そのパフォーマーとしての孤独感というか、魅力というか、そういうのが、ひょっとしたら田中さんにはもう手出しができないところにあるのかもしれないですね。だからこそ全編で見せない、あるシーンだけクローズアップしたいというのが基本的にどのオブジェにもあるんですよね。


【照明について】
○田中 基本的に劇場での表現というのは、テレビとは違うけれども、でも見る方向が決まっているじゃないですか。要するに、お客さんが会場を自由に動き回ってどこに座っても立ってもいいみたいなことだと、壁際に立ってみたり、座ってみたり、そういう見方もあるかもしれない。ふだんつくっているときにはそういうこともかなり意識しているけれども、劇場の場合には完全にある一定の距離もしくは角度というのがある。

○堀越 客席という。

○田中 そこで一番気にしているのは、光というか、色も含めて、何か現象として目に見える。さわったりするわけでもないし、金属でできているんだなという不確実な印象よりも、照明の当て方で全然それが消えちゃったりとか、場合によってその位置がわからなかったり、距離がわからなかったり。
 やはり僕が一番興味を持っているのは、照明効果とか、距離感とか、空気感とか、何かそういうことなんだろうなというのはありますよね。それこそ、オブジェとしての物体感はなくていいぐらいの感じ。だから、その人の1時間ちょっとの記憶の中の、その時間その時間の残像の中で何かあるニュアンスをつけてくれるのであれば、そこにどんと立ちはだかるとか、そこで存在を、まあ、主張しないということじゃないんだけれども。

○堀越 空間と一体になって。

○田中 何か変にそれだけ浮かび上がってこないというかね。

○堀越 わかります。存在感がなくていいということですよね、悪い意味じゃなくて。
 
○田中 明かりのこともそうだし、音のこともそうなんですけれども、もう日常の生活を普通に送っていると、明かりが全くないとか、音が全くない瞬間というのはまずないでしょう。どこに行っても少なくともちらほら明かりはあるし、耳を澄ませば必ずどこかしらで音がする。自然の音とか、自然な明かりだけという状態は、わざわざ工夫してそういう場所に行かないとないですよね。でも劇場というのは、ある程度擬似的にはそういうものがつくれる。常に明かりと音で満たされているのではなくて、もう少しすき間というか、何か本当に、息をするのもはばかられるぐらいの静寂とか、もしくは、何か必要以上にどきどきしてしまうような暗やみとか、そういうのもどこかで試せる機会があったらなと思う。

○堀越 僕は今回の「in Silence」ではそういうシーンをつくろうと思っていて、水滴のオブジェでその音をどうやって録るかで問題になりましたが、僕は音がなくてもいいんじゃないかと思うんですよ。まるで聞こえるかのような、水滴は見えないにしてもオブジェの波紋が映っているわけで、その落ちた瞬間にどんな音がするかというのはみんなの頭の中にありますよね、記憶の中に。それで十分なんじゃないかと思う。

○田中 確かに、水の音とか風の音はなごみの要素につながりやすいんだけれども、僕は逆に、なごまなくてもいいし、むしろ緊張が解けない感じとか、か細いんだけれどもすごく集中して聞いてしまうような、そういうニュアンスの方に僕自身はイメージがある気がしますけれども。

○堀越 僕は、その前のシーンからの流れでいうと、松木さんとバトルするわけですよね。ここは全然華麗じゃないわけですよ。何か、ダンスなんというものでなく、パフォーマンスというものでなく、もっと何というか、見せるなんという要素からはかけ離れてしまっているものでいいと思うんですよね。ある意味、一番格好よくない場面かもしれない。その次の、水と歌声というのがそれを包むような、そういう普遍的なものでありたい。

○田中 少しそれをたしなめるような。

○堀越 たしなめるような、あるいは、すべて包み込んでしまうくらいの許容量のあるもの。

○田中 次元の違うものですよね。そういう意味ではいいと思う。張り詰めていたものをふっと緩めるということじゃなくて、違う次元にずれていくものというか、そんなものがいいかな。


【「WAR CRY」というタイトルについて】
○堀越
 今回の「WAR CRY」というパフォーマンスについていうと、今という時代は、これは僕の主観なんですが、自分の生き方を語る時代なんじゃないかと思っているんですよ。例えば大リーグに行きますと野球選手が言う。あれは一つの「WAR CRY(鬨の声)」だと思うんですよ。リスクを承知で、だめかもしれない、でも行くしかないんだみたいなところでみんな行く、ああいう姿に僕はとても感動するんですよ。要するに、その成功するか失敗するかの両方の面を自分に突きつけながら、行ってきますと言うその顔が、何とも不安と期待が入りまじったいい顔だなと思うんですよね。自分はこうやって生きていきますとか、あるいは今僕はこれを発表しますとか、そういうことを語っていく時代なんじゃないかと思うんですね。例えばイチローがするように、自分はまずこんな生活をして、こんな節制をしているからきょうプレーヤーでいられるんですよなんということは、昔は語らなかったですよね。長嶋さんなんかはひたすら天才だと思われていた。でも、中田英寿にしても、イチローにしても、やはり自分の生き方を語って、節制していくんだとか、練習しなきゃだめだとか、そういう、昔だったら格好悪いと言われたようなことを平気で言っていく時代なんじゃないかと思う。
 僕もドラマーというポジションで考えたときに、世の中にいるうまいドラマーを、結局ジャズドラマーとロックドラマーに分類して語られる違和感を常に感じていたんです。そんなときに、どこにもないパフォーマンス、あるいは自分にしかできないパフォーマンスを自分が持っているか持っていないかということは大きな違いだと思ったんですよ。それを宣言する時期なのかなと。その宣言というのは自分に対しての宣言なのかもしれない。そんな意味もあっての「WAR CRY」なんですよ。
 それから、ではなぜ、松木さんと闘うのか。それは、さっきも言ったように、日本というもののアイデンティティーというか、様式美というか、理念というか、そういうものを象徴するようなシーンをつくりたいと思ったからなんです。松木さんという剣術師と堀越彰というちょっと普通とは違うドラマーが、「闘い」の中でそれぞれの限界に挑戦することができたら、民族性とか普遍性とか、現代的な、太鼓と舞というものを通した日本の様式美とか、アイデンティティーみたいなものが出せるんじゃないか、そこを一つのクライマックスにしたいというのがあるんですよね。

【自分のスタイルについて】
○田中
 日本だけじゃなくて世界じゅうにドラマーがいるでしょう。情報化もされている。美術の世界なんかでもよく言う話なんだけれども、自分なりのスタイルとか作風として、絵かきなんかもそうですよね、何々派とか何とかっぽいとか、類型的なものの中でどれだけ自分が正統派かもしくは異端児か、そういうことを割と取りざたするケースがある。それは、僕は、確信を持って異端児になろうとしているわけではなくて、結果として。

○堀越 僕もそうですよ。

○田中 でも、やはりかなり変わっていると人によく言われる。

○堀越 僕もそうです。

○田中 でもそれは、今は割とそういうふうに自分の中でも自覚があるし、でも、あえて人から違うことをやっていますねと言われることだけを喜びにしているわけではなくて、結果として違っていると認識されることは悪いことじゃないんですけれども、でも、共感してもらえる部分が必ずあるからいいわけであって、そうじゃなければ、多分、変わり者で、相手にされない。逆に、すごく当たり前の教科書的なスタンダードなことをやっているふうに見える人たち、その中にもすごく個性は見えてくる。要するに、花の絵を描くとか、風景を描くとか、写実的な人物の絵を書くとか、わかりやすく言うと、風景のデッサンで富士山の絵なんか、世の中にどのぐらい生まれてきたのかわからないじゃないですか。その一枚一枚にはっきりした作者の画風が見えるかというと、ほとんど似たような絵に見える人もいるかもしれない。でもその中でもピンキリがあって、すごく心打たれるものも多分あるんですよね。
 だから、何を言いたいのかというと、その人の中でのイメージの精製の度合いというか、純度とか、その人のとった方法論がそれ以前にあったものと比較してその一直線上にあるのか、すごく新しい絵として受けとめられるかというのは結果論で、僕は余りそのこと自体でどうということはない。どれだけ純度を高めて形にしたかというところを、ちゃんと人に伝えられる形でその問題と出会ったか、見抜けたかという、そこのところが一番やはり大事なところじゃないかな。料理でもスポーツでも一緒で、何か変わったフォームで打ったからいいというものでも、まあ、ビジュアル的にはわかりやすいけれども。
 さっき言ったように、東洋的であるとか東洋的でないというのは、それは意識しなくても、多分、自分の中で興味の対象に対して単純に純度が高まっていくと、余り言葉で出さなくてもすごく見えてくる。だから、松木さんとのバトルというのも、そういう意味で、やると自然に出てきてしまうということになるんじゃないかと思うんですよね。

○堀越 でも、松木さん、いい人そうだからな。あんないい人とバトルするのは。

○田中 いや、わからないですよ。木刀を持つと人が変わるかもしれない。

○堀越 絶対変わりますよ。

○田中 目つきが変わると思う。二重人格とまではいかないまでも、絶対違うと思う。

○堀越 いい体してるしね(笑)。


【左右のバランスについて】
○堀越
 松木さんに木刀を持たせてもらって、何かすごくしっくり来ましたね。何だろう、あの太さと重さと長さと、すごくいいんですよね。バランスがスティックに近いような気がする。何か体のバランスが調整されるような気がするんですよ。要するに左右対称でしょう。自分の中心とリンクするような。それを、例えばバットだとこうやって、僕は右ききだから、右から振ろうとする。でもすぐに逆に持って、左に振りたくなるんですよ。例えばボールを投げたりしますよね。そうすると、逆に持って、左手で返したくなるんですよ。
 要するに、僕は、ドラマーという職業柄、左右対称というものに、自分の体が右と左とのバランスが保たれているかということに執着があって、保っていたいんですね。逆に言うと、ドラムって左右対称じゃないんですよ。右に発展していて、左が発展していない。だから、左から右に常に行く。右の方がはるかに使用頻度が高くて、でもそれは僕にとっては違和感があって、右に行ったら左にも行く、同じようにできたらもっと発展するんだと思うんですよね。それを自分ではやりたいと思っているんですけれども、木刀の世界はまさに左右対称で、だから自分の中心とリンクしているわけですよね。例えばサッカーも右きき、左ききはあるかもしれないけれども、ボールはどっちに飛んでくるかわからないのと同じように、どっちに切り込むかわからないわけですよね。訓練していく段階において、右から左に切り込むとか、左から右にというのを同じだけやるんじゃないか、持った瞬間にそんなことを感じたんです。

○田中 右左の話でいうと、僕は完全に右半分なんですよね。

○堀越 日常が?

○田中 日常というか、単純に右ききだからというんじゃなくて、左に余りイメージが行かないんですよ。

○堀越 そうなんですよ。日常生活なんか特にそうだけれども、ドアノブも歯ブラシも箸も鉛筆も全部右で、左は押さえるぐらいですよね。

○田中 逆に、右手で持って違和感があるのは電話ぐらい。電話は左で持って、それで何か書きとめたりするとか。それで多分、自分の中で右と左の役割が完全に使い分けがあって、これは何かというと、スケッチを描くときでも、右手で描くということだけじゃなくて、スケッチで人の横顔を描くときに、左向きに描く人と右向きに描く人がいるんだけれども、大抵右ききの人が描く人物は生理的に左を向いた絵になりやすい。僕のオブジェなんかでも、正面がはっきりするものとか、左右がはっきりするものというのは、必ず右左の感覚を知らず知らずのうちに使い分けていて、たまにひっくり返しに反対に絵を描いたりするんだけれども、プロポーションのバランスのイメージがとりづらくて、自分の中で知らず知らずのうちに、こっちが正面で、こっちが右でと描いている。オブジェとしては右にも左にも回るんだけれども、やはり右のイメージの方が強いとか、そういうのがあるんですよね。それを余り意識して修正しようとしない、自然にできてくるものでいいやと。逆に、右と左の動きとか方向が特別にないものに関しても、つくっていると絶対何かしら出てくるんですよね。ねじというのは必ず右回転にしかねじっていけない。ボルトがあるとナットがある。両側からボルト、ボルトで締めることもするんだけれども、片側から通してこちらでとめるというときにどっちからとめるかというと、やはりモーターがついていてケーブルを出すのにどこから出すかというのを、すごく細かいこだわりなんだけれども、でも、最終的にこれはこっち向きに置くから、そうだ、ここから出てほしいとかいうときに、見る人にとってはどっちでもいいことなんだけれども、自分の中ではしっくりいく形というか、形の選び方があるんですよね。おもしろいことに、それが頭の中ですっとうまくつながったときに作業がすごく進むんです。その辺のイメージがあいまいなときに、すごくつまらないことなんだけれども、1時間も2時間も悩むんですよね、どっちがスマートだろうかと。

○堀越 そろそろタイムリミットでしょうか。

○田中 きりないですからね(笑)。

○堀越 この辺にしておきましょう。

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