ごあいさつ
今年もあとわずかとなりました。驚くことばかりが続いたこの1年でしたが、秋も深まり、そろそろ今年をどう締めくくるか考え始める頃、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
振り返れば今年はいつにも増してたくさんの方とたくさんのところに演奏に行くことの多い、ツアーに次ぐツアーの年でした。震災間もない3月の中旬からめまぐるしくツアーが始まり、気付けば1年を振り返るほどに季節が変わっていました。まさにこれぞミュージックライフと言えるような年。
でもこの2011年という特別な年に僕はまだ何もしていないと思っています。僕が感じ、僕が創造したことをまだ何も表現していないと・・・。
昨年末、ご好評をいただいた公演「狂詩曲 rhapsody」は僕にとって特別な公演となりました。もちろん、ピアニスト深町 純の死が大きく関わっていることはいうまでもありません。が、「狂詩曲 rhapsody」という作品を通して、僕が感じる全てを舞台で表現することが僕がするべきことだ、ということを深く再認識させられた公演でもありました。あれから1年、今年も銀座博品館劇場で公演させていただくことになりました。
今年の博品館はラテン音楽を聴いていただきたいと思います。2008年に太陽の国、キューバに行って以来、そこで体験したことをいつかパフォーマンスにしたいと考えていました。躍動感にあふれ哀愁を感じ、どこか懐かしいと感じるあのリズムやメロディを僕の表現方法で作品にしたいと。そこでフッと浮かんだ名前が「カルチェラタン」。
古都パリに実在するヨーロッパとラテンの交差地点「カルチェラタン」。「カルチェラタン」とは別名「ラテンクォーター」とも言い、キューバのような完全なるラテンではなく、ハーフでもなく、クォーターである。ヨーロッパを象徴する都市、パリの中に実在する"少しラテンな街"というところに強く惹かれ創造が膨らみました。
考えれば日本人でありながらスパニッシュの表現に身を投じるAMIさんたちや、ジャズドラマーと呼ばれながら日本の古典音楽を愛する僕。僕たちは 2つのカルチャーが交差し混ざることによって生まれる化学反応を求めている。僕のバンド「The WILL」は3人でありながらオーケストラをイメージしたし、「東方異聞」のメンバーには邦楽器本来の音色を大切にすると同時に、楽器の限界を超えて欲しいとリクエストしてきました。相反する2つのものを掛け合わせ、新たなことを生む試みを今までもしてきました。
舞台監督 金田氏と打ち合わせ中の堀越
ラテン音楽とフラメンコ、そこに僕の音楽体験を掛け合わせ、ちょっとラテンなパフォーマンスを作りたい。その中に貫かれるテーマは "生命力" 。ピアノの深町さんやベースの是安さんなど僕にとってかけがえのないアーティストが他界し、僕に今出来ることは何だろう、ただ立ち止まってはいられない、そんな気持ちで作品を作ります。出演は一段と磨きのかかったバイレ AMI、この公演の頭脳とも言うべきギター 片桐勝彦、昨年大好評だったカンテ 石塚隆充、今や僕の右腕のギター 白土庸介という昨年同様のメンバーに加え、果てしない才能を開花させた若きピアニスト 林正樹。更に信頼する音響、照明、舞台のスタッフ陣を配し、ラテン音楽の躍動感、激情のフラメンコ、壮絶な踊りと打楽器のバトル、そして歓喜の「ボレロ」など、折り重なる感性、ぶつかり合うインスピレーションから生まれる極限のパフォーマンスをお贈りしたいと思います。
11月 9日、銀座博品館劇場でお待ちしています。
チケットご希望の場合は以下のアドレスに希望枚数とお名前ご連絡先を書いてメールでお知らせください。
info-horikoshi@mx1.ttcn.ne.jp
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空に向かって靴を放り投げる 決まって靴は裏返る
僕の人生はいつもそんなだった
お気に入りの服で街に繰り出す 突然雨が降り出す
僕の今まではいつもついてなかった
そんな僕でも名もない花を見て愛おしいと思うよ
出会った君を守ることだって出来るよ なぜなら
僕は自分の足で立っている 自分の足で歩いてる
僕は自分の人生を生きている 自分の道を進んでいる
僕は生きている 僕は信じている 僕は愛している 僕は歩いている
僕は生きている 僕は信じている 僕は愛している 僕は歩いている
肌の色や信じるものの違いは この星が持つ憂鬱
でも違うって素晴らしいことだよ
歌が僕たちをひとつにするように いつでも僕らは
壁を越えて手をつなぐことが出来るはず
成功か失敗か それはいったい誰が決めるの
運が良いとか悪いとか そんなの興味ないよ
僕は未来の自分を信じてる 未来の僕に会いたいんだ
僕は自分の人生を生きている 自分の道を進んでいる
僕は生きている 僕は信じている 僕は愛している 僕は歩いている
僕は生きている 僕は信じている 僕は愛している 僕は歩いている
「Quartier Latin」CONCEPT
都会の夜、街の喧噪、人々の話し声、賑わう酒場の音、壁には印象派の絵画が並ぶ。ここはパリ。古き伝統をまとい今も生き続ける街。
1人のギター弾きがバーの片隅でギターをつま弾いている。心地よいその音は聞き覚えのあるシャンソン。それはいつもの酒場、いつもの街角、いつものパリ。突然、男は内臓を揺さぶるようなギターをかき鳴らした。そこに突き刺さるパーカッションの脈動。更にギター弾きが加わり、 3人は強く激しく躍動するリズムで呼応してゆく。その日、その瞬間のやり取りを楽しむように互いの音を聴き合い、自由に声を掛け合い、新らしい音を生み出す。それはパリの街に生きるラテンという異なる血。やがて我に返ったようにいつものパリの街角に戻る。
当たり前のように流れる日常とそこに変化をもたらす非日常。2 つのものは互いを牽制し、疎ましくもあり、魅惑的でもある。その存在を許容した時、新たなものに生まれ変わる。そのようにしてあらゆる芸術が生まれていった。
2010年12月29日「狂詩曲 rhapsody」から1年、ラテン音楽の躍動感と共に再び博品館に立つ6人のアーティスト達。魅惑のラテン音楽、激情のフラメンコ、壮絶な踊りと打楽器のバトル、そして歓喜の「ボレロ」。折り重なる感性、ぶつかり合うインスピレーションから生まれる極限のパフォーマンス。
パリに実在するラテン街「カルチェラタン」。そこは2つの芸術が出会い 闘い 融合する場所である。
パリの5区に男が集まるラテン街がある
男たちは酒場に集い 自慢話に花を咲かせる
若い女は恋に落ち その女を取り合い喧嘩が始まる
名もない絵画は その全てを観て来た
石畳はここにたどり着いた者達を記憶している
髪も肌も 血の色も匂いも 夢も想いも挫折も死も
全てこの街(カルチェラタン)の虜になり 心を奪われる
ラテンの神はどこだ 僕らはリズムの虜になる(命を捧げた)
ラテンの悪魔はどこだ 僕らはリズムの生け贄になる
出演者紹介
AMI 鎌田厚子 / Baile
ダンサーとドラマーは共感するところをたくさん持っている。特にフラメンコダンサーとの共通点は多い。AMIさんの足はパーカッションだ。それも1音1音に魂を込めるヘビー級のパーカッショニスト。決して華麗ではなくむしろ粗野なイメージのフラメンコのサパティアートは、だからこそ心に響く。AMIさんはどんなに僕たちと共演を重ねてもフラメンコの本質から離れようとしない。だから安心して僕の世界に巻き込むことが出来る。例えどんな音に合わせようと、AMIさんから湧き出るフラメンコの香りが消えることはない。
石塚隆充 / Cante
昨年末の公演「狂詩曲 rhapsody」のアンコールにリクエストした "ボヘミアン・ラプソディ"。言うまでもなくクイーンの名曲だ。この曲のように僕が子供の頃から聴き続け30年以上愛し続けている曲はそうない。そして僕の思い入れ一杯の曲を石塚さんはまるで自分の曲のように歌い上げた。その場にいらしたお客さん同様に、僕の心もわしづかみにされた。それにしても何と魅力的な声なんだろう。あのメロディーを思い浮かべると、今やクイーンのそれではなく、スペイン語で歌われた石塚さんの "ボヘミアン・ラプソディ" が僕の頭を駆け巡る。
片桐勝彦 / Guitar
片桐さんは僕にフラメンコのあらゆることを教えてくれる。この公演における、いわば生命線だ。その内容はリズムやメロディー、ハーモニーのバリエーションから曲が生まれた歴史とその後の変化にまで及ぶ。あらゆる音楽を知る片桐さんのバランス感覚によって、僕たちがフラメンコに近づくことが出来、AMIさんや石塚さんは次なる一歩を踏み出せる。ときどき片桐さんが話してくれるアフリカ旅行体験談はまた壮絶だ。今は亡き深町さんが「片桐君の話しは実に興味深いね」と言っていたほどに。
白土庸介 / Guitar&Bass
この数年、僕が想い描くサウンドにとって "要" とも言えるのが白土さんのギターだ。そのスタイルはあくまでもロック。僕がかつて恋い焦がれたロックサウンドを今に再現してくれる。しかしそれだけではない。オーケストラの中のチェロのように、ラテン音楽のベースラインのように、僕のあらゆるリクエストに応える技術は特筆すべきことで、ステージという試合の中で攻守を自在に操り正確なパスを送るボランチのような存在感だ。
林 正樹 / Piano
1997年、僕が参加していた伊藤多喜雄バンドの南米ツアーに突如現れた青年。18歳の林君は 初々しく、嬉々としてピアノに向かい音を出していた。あれからずっとお付き合いを続けて14年、今もあのときと変わらぬまっすぐで純粋な気持ちが素敵だ。一方、ピアニストとしての林君は驚くべき才能を開花させ、多くのプレーヤーから愛され重宝されている。もちろん僕も。今年の公演では美しく官能的な「ベサメ・ムーチョ」をお聴きいただきたいと思っている。