2011年5月のある日、僕は渋谷のオーチャードホールに向かった。
念願のキースジャレットのソロがようやく聴けるのだ。いままでどれほどの機会を逃して来たことか。こう言っちゃー失礼だが、キースももう若くはない。万が一、聴けなかったなんてことになったら後悔する。

数ヶ月前、始めてスティーブ・ガッドの来日公演を聴いた。ある時期、若い僕の心を虜にし、ドラムに夢中にさせたアイドルのひとりだ。期待は大きい。これまで30年近く聴き続け記憶に残る、あのチックコリアとの、チャックマンジョーネとの、壮絶なプレイのすべてを掛け合わせたような、あるいはそれ以上のプレイを期待してしまうところがファン心理と言うもの。しかしスティーブ・ガッドももう初老(失礼っ)、現実はそんなわけがなく極めて淡々としたプレイに終始し、僕は身をよじりながら聴いたのだが、それでも終わってみれば「良かった」と思えるのもまたファン心理なのだから不思議だ。

キース・ジャレットのピアノソロの中でも「ケルン・コンサート」「ウィーン・コンサート」「サン・ベア・コンサート」など、名演と呼ばれるものはたくさんあるが、中でも「パリ・コンサート」は僕の1番のお気に入りだ。今日はそれらの名演を全部掛け合わせたような・・・、といきたいところだが今日に限りそれは止めておこう。今日はもっと心を真っ白にして聴くことにする。なぜなら、キースのソロは即興だから。まあ本当に即興かどうか、それはキース本人にしか分からない。でもこの「即興ピアノソロ」というところが魅力を何倍にもしていると思う。天から降り注ぐアイデアに次ぐアイデア、インスピレーションに次ぐインスピレーションによって音は紡がれ、そして消えて行く。この刹那的なわずかな人にしか体験出来ない音の芸術。即興にして40分を超える超大作が目の前で組み上げられて行く。あー、なんて凄いんだろう。この傑作しか許されない状況。おもいっきり期待している僕。

ステージ中央には、ピアノが一台。 ピアノのソロコンサートだから当たり前だ。でも何故か語りたくなる気分。「ステージの中央には・・・ 黒いピアノが・・・ たった一台・・・」ため息まじりに言ってみた。会場は独特な緊張感に包まれている。「僕たちは これからここで行われる出来事の 目撃者になる。」 そんな感じだ。「僕たちは選ばれだんだ・・・」 1万円出してチケットを買っただけなのに・・・。

すると女性のアナウンス。

「本日はキースジャレット ピアノソロ公演にご来場頂きありがとうございます。公演の前にいくつかお願いを申し上げます。公演中のお話しはされませぬよう固くお願い申し上げます。また傘はたてかけず、床に寝かしてお置きいただきますようお願い申し上げます。本日のコンサートはCD発売予定のため全て録音します。万が一物音がありますと、公演並びに録音に支障を来す場合があります。」

こんな厳しいアナウンスは始めてだ。それも仕方ない、キースのソロだから。それに今日のコンサートをレコーディングするという情報は以前からあった。今日ここで生まれる音がCDとして再び聴けるかもしれない。こうなると客席の拍手も声も、場合によっては咳払いもCDになるかもしれない。そんなことを考えると僕たち観客まで緊張する。緊張が度を超して気勢を上げるヤツが出るとも限らない。アナウンスは続く。

「また携帯電話・PHSはマナーモード、サイレントモードではなく電源をお切りいただくよう固くお願い申し上げます。万が一、公演中に着信音が鳴りました場合は、アーティストの意向により公演を中止させていただく場合がありますことをご了承いただけますよう、重ねてお願い申し上げます。」

何という厳しさ、公演中止になんてなったらたまらない。もう一度携帯電話を確認する。そういえば前回の日本公演では携帯電話の着信音で演奏を中断し、日本の禅思想について語り続け、そのままステージを降りたという噂も聞いた。そう、だから僕はこの劇場に着く前から携帯電話を切っている。切っていても確認せずにはいられない僕。

一段と緊張感に包まれた会場ではもはや話し声は聞こえない。聞こえるのはただ1つ、携帯電話を確認する音だけだ。そこに今頃ノコノコ入って来る観客の足音が鳴り響く。もはやこの空気にすっかり洗脳された僕らはこの足音が許せない。時計を見るとまだ開演5分前、遅れたわけではないのに気の毒なヤツだ。自分だけはそんなマヌケにはなりたくない、と見下す僕、凄く嫌な奴になっている。再び携帯電話を確認する。すると追い討ちをかけるように

「本日はキースジャレット ピアノソロ公演にご来場頂きありがとうございます。公演の前にいくつかお願いを申し上げます。 公演中のお話しはされませぬよう固くお願い申し上げます。また傘はたてかけず、床に寝かしてお置きいただきますようお願い申し上げます。本日のコンサートはCD発売予定のため全て録音します。万が一物音がありますと、公演並びに録音に支障を来す場合があります。また携帯電話・PHSはマナーモード、サイレントモードではなく電源をお切りいただくよう固くお願い申し上げます。万が一、公演中に着信音が鳴りました場合は、アーティストの意向により公演を中止させていただく場合がありますことをご了承いただけますよう、重ねてお願い申し上げます。」

・・・・・    
イッ、息が出来ない。このピント張りつめた経験のない無音状態は何だろう。日常音の中で感じることのない"キーーーン"という耳鳴りが聞こえる。こんな真空のような中では、もはや身動き1つとれない。
も もう一度だけ  け 携帯電話を  か 確認  し  よ  う 
そう思った瞬間、場内が暗くなった。

長い静寂の中、遂に登場した。割れんばかりの拍手。僕らがキースの登場をいかに待ち焦がれたかを拍手で表現しなければならない。黒いシャツを第3ボタンまで空け、黒い丸形のサングラスに両手を黒いパンツに入れ、少し猫背で、しかし誇り高くうなずきながら現れたキース。2,000人の子分を従えたマフィアのボスのような存在感。そういえば「ゴッドファーザー3」のアル・パチーノに似てるかも。ゆっくり歩く。拍手は鳴り続ける。更にうなずくキース。一段と拍手が強くなる。中央で仁王立ちのキース。いっそう拍手が強くなった。そしてキースが後ろを振り向いた瞬間、拍手は一瞬にして止み、真空状態となる。なんだこの教育されようは。

ピアノに向かったキースは横にあるコップに注がれた水を飲みコップを置く。「コーン」と場内に鳴り響く。キースだから良いのだ。しばし物思いにふけりながらゆっくり椅子に座る。天を見上げて瞑想。音が天から降りてくる瞬間か。誰かが咳払い。コラっ、ガマンしろっ。キースの瞑想は続く。  ・・・  いよいよ始まる、天からの甘美なささやきが。・・・  ところが

突然立ち上がりピアノのボディを叩き出す。それもノリノリで。えっ???
ケルンコンサートの、パリコンサートのあの荘厳な音の降臨を知る僕にとっては何とも意表をつく始まり。ノリノリのピアノのボディパーカッションはソウルフルなピアノ演奏に代わり、再びボディ演奏に戻る。それを何度か繰り返し、ノリノリのボディパーカッションで突如終わる。
あれっ? 即興にして40分を超える超大作、じゃなくて5分で終わり? これでいいの?

割れんばかりの拍手、誇り高くうなずくと一段と拍手が強くなる。そして後ろを振り向いた瞬間静寂、またまた真空状態。そして物思いにふけりながらゆっくり椅子に座り、天を見上げて瞑想。これは儀式だ。僕たちも緊張する。再び耳鳴り。キースの瞑想は続く。  ・・・  そして  ・・・

キースの背がくの字に曲がり顔は鍵盤すれすれ、そのまま顔を客席側に向け、目を強くつむり、眉は八の字、口をトンがらがして「イーーーン」 出た、美しいピアノをかき消すような叫び、「アーーーオ」 感嘆のため息。

この2,000を超える聴衆が待ち焦がれた瞬間だ。
この世のものとは思えない美しい響きと、  声。

「イーーーーン、  アーーオ、  ウーーー、  オーーー、  フゥーーー」

この声さえなければ、などと思ってはいけない。この声があるからこそキースなのだ。

6~7分の曲が終わり、再び拍手、うなづき、真空、瞑想、耳鳴り、くの字、八の字、ひょっとこ、声、
と決まった儀式を行って次の曲を弾き始める。静かなイントロから次第にリズムに厚みが増してしたその時、突然弾くのを止めた。

どうした! 何が起こったんだ。場内イヤな緊張感が張りつめる。誰かの携帯? 僕のは鳴ってない。じゃあ何に怒ったんだ。すると

「バイバイー」

気に入らなかったのか、手を振って曲を終わりにしたキース。怒ってなかったんだ。ホッとした。何事もなかったように次の曲の瞑想に入る。・・・なんて勝手な奴。

梅ヶ丘に上手くて評判の歯医者があり、通っていたことがあるが、口の開け方が悪いと毎回頬を叩かれた。おまけに会計の時、1万円札しかないと言うと「うちはコンビニじゃねぇ」とコンビニまで走らされた。あるいは「汁に付け過ぎるな」とか「黙って喰え」というこだわりのそば屋もいる。博多にも自分で運んで自分で片付ける水炊き屋があったことを思い出した。予約して行ったのに1時間待たされたが、カウンターにプルドックのようなオヤジが恐ろしい形相で鳥をさばいているから文句は言えない。残したら出入り禁止になるから、連れて行ってくれた友人は注文のときから「量が多いから少なめに注文しましょう」と神経質になっている。かまわず注文すると本当に凄い量で、最後は死に物狂いで食べて帰った苦い記憶がよみがえる。

それにしてもこのコンサート、何で1万円払ってこんなに気を使わなくちゃいけないんだ。なぜなら、それはキースだから。それが全てだ。文句あるかっ!

結局この日は1部2部通して「即興にして40分を超える超大作」は無く、6~7分の曲を景色を変えて何曲も聴かせてくれた。アンコールは4曲、その2曲目はあの「オーバー・ザ・レインボー」だった。あまりにも有名なあのさびのメロディーをこれ以上ないほど遅く、静かに弾いた。

ター タ ラ タ ラ タ ラ タ ラ  タ ラ タ ラ  タ ラ ラ ラ ラ ー ー ー 「ブラボー!」

余韻もなくブラボー屋が叫ぶ。自らの声をキースのピアノとともにCDに残したいしたいマニアの仕業だ。場内がもの凄い拍手と声援に包まれる。素晴らしい演奏に解き放たれたように声を出している。と同時に何事もなく終わって良かったという安堵感に包まれている。あー疲れた。

「ブラボー! 」「ブラボー! 」「ブラボー! 」

ステージを見ると2,000人の信者の声援に黒ずくめのキースが笑みを浮かべうなづいている。もはやマフィアの親分なんかじゃない。神・・・、そうキースという名の神だ。素晴らしかった、本当に。 本当ですよ。 そうそう携帯電話、いやいやしばらく切っておこう。あの美しい響きの余韻に浸りたい。

1階ではCD売り場のお兄ちゃんにとてもジャズファンには見えないおばちゃんが質問している。「今日のCDはいつ出るの?」 どっから観てもアルバイトのお兄ちゃんにわかるはずもない。後ろから現れた男性が「アーティスト本人がOKを出せば発売になりますが、時期は未定です。」

不満そうなおばちゃん。このおばちゃんのせいで美しい響きの余韻は半分になった。オーチャードホールを出てドンキホーテの前に来る頃にはゼロになる。東京、特に渋谷という街の宿命か、素晴らしい響きの余韻は街の喧噪にかき消される。なんとも儚い音という芸術。それでもキースが今日生み出したいくつもの奇跡は、確実に心に刻まれる。キースを好きな人はもちろん、そうでない人も、是非この特別な空間を体験して欲しい。1万円で体験出来るのだから安いかも。